「変わっている」と言われてきた自分。でもそれは悪いことじゃない。

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「変わっている」、とよく言われるyutaです。

自分は、気が付けば30代になってしましましたが、昔からよくちょっと「変わっている」と言われてきました。

小さい頃は目立っていいことじゃないかな、くらいに思っていましたが、中学生あたりから「変わっている」は、「普通じゃない」、「まともじゃない」、「変人」というくくりじゃないのかと思い始めて嫌になってきました。

 

でも、この「変わっている」、という表現がある人生のイベントから自分にとってマイナスではない、という反対の考えになりました。逆に「変わっている」が自分の「普通」であって、社会に受け入れられているんじゃないかと思ってます。

今回は自分の小さいころからの体験も踏まえながら、「変わっている」を記事にしようと思います。

 

小さい頃から周りと趣味嗜好が違った

 

 

思い返すと、自分の場合、小さい頃から微妙に大多数の人の趣味嗜好と自分の好きなものが違っていました。

周りが芸能人の話をしてても、芸能人に興味がないのでイマイチ名前は覚えないし、野球をやっていましたがプロ野球にはどうにも興味がない。だから周りが関連の話をしててもつまらない、としか感じません。

 

周りが少年ジャンプを読み始める頃に少年サンデーを読んでたり(少年サンデーは大好きです)、プレイステーションでファイナルファンタジーをやる頃にドームキャストやニンテンドー64で1人やりこみプレイにのめり込んでいました(多人数でやるスマブラとかではない)。

二重の極み、牙突なんて傘で遊ぼうといわれても対応できませんし、ファイナルファンタジーでキマリなんでいわれても教材の「ことばのきまり」しかピンときません。

 

周りがハイスタ、銀杏BOYZとか聞き始める頃にキングギドラやライムスターのラップ系を聞き始めます。

カラオケでもキングギドラを歌っても周りは不思議な空気になります。

 

社会人になってからはカフェ・ランチ巡りや家庭菜園、クワガタの飼育、ソロキャンパーにはまって、フットサルなんかはやりません。

カフェ・ランチ巡りはデートには非常に役立ちましたが、クワガタやソロキャンパーは完全なマイノリティです。自分の年代で家庭菜園にハマる人間は少ないので、当時彼女から「おじいちゃんみたい」という失礼な言葉まで受ける始末です。

 

小さい頃から今まで振り返ると大多数が好きになるものと、自分が好きなものは少しずれているんですね。

 

対人関係から生まれる「変わっている」認定

 

 

「変わっている」は対人関係のやり取りの中からも生まれてきます。自分が「変わっている」と言われてきた理由は下に書く内容が主なんじゃないかと思います。

 

会話の中で微妙にズレた返答をする

話していて相手が聞いていることに対して微妙に的のズレた返答をしてしまうことが多々あるんですね。例えば、

 

今飲んでるコーラどこで買ったの?

 

 

ユウタ(右)
ユウタ

コーラは好きだからよく飲んでるよ。来る途中のコンビニで買ったんだ。

 

どこでコーラを買ったのか聞いてるのに、なぜか最初にコーラは好きなのか答えてしまったり。その後に、聞かれた内容を答えてますが、前半でよく分からない回答をしてます。一瞬相手に「ん?」という空気が流れます。

微妙に会話のキャッチボールがズレていて、これを繰り返すうちになんだか「変わっている」認定されていきます。

 

複数人の前で自分の気持ちを伝えるのが苦手

個人間に対しては自分の気持ちを堂々と伝えることができますが、複数人を相手にすると自分の気持ちを伝えるのが苦手です。

教室で前に出ての発表や授業中手を挙げての意見とかですね。

昔から、多人数ではなく友達と二人で遊んだりするのが好きでした。

人前に出ると、顔が赤くなって、顔から汗が噴き出ます。頭の中がパニックになって訳の分からないことを言ってしまって終了、となってしまいます。

 

顔の汗すごいよ。

うるさい、ほっとけ!

こんなこと言われると余計に緊張が加速します。「変わっている」だけじゃなく「残念な人」にもなってしまいます。

 

謎の義務感がある

対人関係で謎の義務感や焦りを持つことがあります。あの人がこういうことをしてくれたんだからこれをやってあげなきゃ、義理もあるからこれをしなきゃ・・・・という感じです。

自分は高校受験に失敗しましたが、大手塾に通っており、受験結果発表後に塾主催の塾生の集まり(懇談会)がありました。

試験に落ちた人は皆行かないようでしたが、自分は塾に通って来たんだから行った方がいいよな、と周りの「行くの辞めておけ」、という声を無視して義務感の中で出席しました。

辞めておけばいいのに。

結果、周りの塾生(と講師)からの何とも言えない「なんて声かければいいんだろう」、という空気を感じながら時間を過ごすことになりました。

余分な配慮や義務感が結果として、自分にとってマイナスになっていました。

 

「結婚式」が自分の価値観を変えた

人から言われる「変わっている」に抵抗感を覚えながら、生活してきたわけですが、こんな自分も26歳の時に結婚をすることになりました。

結婚式はお金もかかるし、呼ぶ人も考えないといけないし(自分としてはこれが一番めんどくさかった)、準備も大変だし好んで結婚式はしないけど、奥さんがやりたいだろうからなぁ。

と思いながらも式を挙げることにしました。

でもちゃんと自分がプロフィールムービー、ウエルカムボードを作りました!

 

自分、奥さんで半分ずつで呼んだ人数は合計90人くらいでした。

挙式の前に教会で親と対面した時は奥さんでなく自分がなぜか泣いてしましました。涙もろいんです。

披露宴に入った時は職場の先輩が乾杯をしてくれ、大学の友達と職場の同僚たちがそれぞれ余興をやってくれ盛大に祝ってくれました。

 

一番前に(自分の結婚式なので当然ですが)座って、笑って祝ってくれている人たちを見てパァッと目の前が開けました。

自分のために親族だけじゃなく小学校、中学、高校、大学、職場の仲間がわざわざ県外からも集まって祝ってくれている、「変わっている」自分の人生が積み上げてきたものは無駄じゃなかった。 

大袈裟ですけど、こんな感じ。

披露宴の友人スピーチでも「変わっているけどいい奴です」とか言われましたけど!

 

こんな感じで自分の「変わっている」というものは、他人からはしっかりと受け入れられていて、認められている、ということが分かった時に「変わっている」ことに対する価値観がひっくり返りました。

 

「変わっている」自分は社会の一員だ!

 

 

自分の場合は結婚式を通して「変わっている」自分は周りからしっかりと受け入れられている、ということを理解しました。

周りから受け入れられている、「変わっている」自分はきちんと社会の一員(構成員)として認められているということです。

もちろん他人を攻撃するような人間は良くないと思います。それは自分の言う「変わっている」でもなく、社会からも受け入れられません。

 

「変わっている」認定となった自分の要因について色々考えましたが、

趣味嗜好が周りと違う=人と違う分野に精通しアイデンティティを持ちたい一種の自己実現。

 

対人については、

①会話で微妙にずれた返答をする=気持ちの焦り、自分のことを上手く表現できない小心部分

②複数人のまえ自分の気持ちを伝えるのが苦手=自分の意見を伝えるのに自信がなかった

③謎の義務感がある=他人に遠慮しすぎていた

 

おそらく、こういう部分が原因なんだろう、と思います。

つまり、自分の場合「変わっている」と言われる原因は「自信の無さ」がもとになって、自分の気持ちを抑圧していた結果なんだろう、と思います。

今は考え方を変えて、ある程度自分の気持ちを発言するようにしていますし、赤面・汗が出るのもかなりなくなったので、いくらか変化があるのかもしれません。(それでも変わっているんだと思うけど)

 

30年以上生きてきて思ったことは「変わっている」ということは、その人の個性だし、きちんと社会から受け入れられる、堂々とすればいい、ということです。

 

「変わっている」と言われて、嫌な気持ちになっている方!気にすることはない。それは周りからも社会からも必要とされている、1つの個性だ!悪く言う人がいれば、そんな人は放っておけばいい。自分が自分を信じてあげましょう。

「変わっている」と言われてきた自分は今日もこれからも堂々と生きています!

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